エネルギーはどこへ行ったの?

アニメ「巨人の星」で、花形モータースに大リーグボール3号投球装置を作らせた花形満は、目の前でその装置が木っ端みじんに壊れる様を目撃します。開発した技術者は、全力でスローボールを投げるという矛盾した動作を行わせるに当たって、「ボールに伝わらないエネルギーをどこに逃がすかが問題だった、その見積もりに間違いがあった」と言います*1
全力を出しているのに何もしない場合、当然エネルギーの逃げ場がどこかに必要になります。その逃げ場が無かった大リーグボール3号は結果的に星飛雄馬の腕を破壊します。また、歴史をひもといてみると「実弾を撃つ時より空砲の時のほうが砲身が過熱する」という経験則は、熱エネルギーの発見へと繋がっていきます*2
さて、前々から不思議に思っていることの一つに、「ノイズキャンセラのエネルギーはどこに行くのか」と言う問題があります。ノイズキャンセラは騒音源と逆位相の音を作って干渉させることで雑音を低減させる技術です。コンサートホールでは空調ダクトのファンノイズの抑制に使われていますし、ソニーウォークマンに搭載されているノイズキャンセラは数百万規模のユーザーに広く使われていると思われます。これらの技術は確かに雑音を小さくするのですが、それは鼓膜の所で干渉しているからそう聞こえるだけで、エネルギーは増えているはずなのです。だってエネルギーは足し算なのですから。
SF作家であり科学解説者のアーサー・C・クラークは、SFファン以外には映画「2001年宇宙の旅」の共同脚本家*3としても知られています。その彼が1957年に刊行したハードSFコメディ短編集「白鹿亭奇譚」に納められている一編「みなさんお静かに」には、フェントン・サイレンサーと呼ばれるまさにアクティブ・ノイズ・キャンセラが現れます。

そのあたりにある音は、すべて、マイクで拾われ、増幅されて、元の音とは位相が全く逆転されてしまうんだよ。ついで、それがスピーカーから送り出されるんだ。もとの音波と新しい音波は、いわば中和して、その結果は静寂と言うことになるんだ。

自らがレーダー技術者だった上に、この頃にはすでに世界中の一線で活躍する研究者とのつてを持っていたと思われるクラークですので、おそらく位相の逆転による雑音消去がどんなものか、きちんと理解していたと思われます*4。しかし、科学的な馬鹿話であるこの短編集の中では、フェントン青年が作ったサイレンサーは、オペラの観客で満員のホールの音響エネルギーをため込み、悲劇的な結末を迎えます。
波の干渉では特定の位置で振幅を消すことはできても、エネルギーを消すことはできません。そのエネルギーはどこに行くのでしょうか。そりゃ当然熱になるのでしょうけど、どのあたりで熱になるのでしょうか。Twitterのタイムラインで「ノイズ・キャンセリング・ヘッドフォンを使うと頭が痛くなる」というつぶやきを読みながら、私は大リーグボール3号の話を思い出していました。エネルギーはどこへ行っちゃうんでしょうね。

*1:このエピソードは原作にはないらしい

*2:運動エネルギーとして砲弾に奪われなかったエネルギーが熱として発散した

*3:もう一人はキューブリックその人

*4:本文の後にそれをにおわせる文章がある